人生は宇宙みたいなところがあるね。
自分の想像以上に果てしなく広い。
宇宙船は少しでも角度をまちがえると、宇宙はそのあまりの広さに宇宙船を全く違うところに導いてしまうんだって。
そして、同じ一キロでも空間が違うから長くなったり短くなったり、それでも同じ一キロらしいです。
私たちには宇宙の形は分からない。
宇宙の形は外からしかみえないから。
生きるということも、宇宙を彷徨うことに似ている。少しでも角度がそれたら、努力の果てにとんでもないところに辿り着きます。
自分で自分は見えないし、自分は自分の外に出られない。
同じ時間の努力でも、時にはあっという間に進んだり、遅々として進まなかったり。
私もむかし、ジャーナリストになりたいと思って、早稲田大学に入ったら、なんだか株アイドルになってました。あれれと思っているうちに、日本では、ジャーナリズムは無いし、不正議と戦うジャーナリストは書く機会が少ないのだなという現実にもがっかりしたよ。
どんな会社に入っても、自分にとって納得いかないことが多いし、納得できないときは思い切りぶつかったり、ボイコットしたりして、まぁ私はまともな大人では無いです。
そして、苛立つのは大人ではない かというとそうでもなく、苛立つのは、それだけ自分が真剣に生きている証拠だと思う。
苛立って、幻滅して、絶望するくらいに自分が立ち向かわないと、そういう気持ちは味わえ無いんだよ。
淡々と仕事をしていられる人が羨ましいと思ったこともあるけれど、その中で充実している人は実は少ないし、「淡々と仕事して金もらって、余った小遣いで好きなことするか」という諦めの人生なのかもしれない。
友達でもいるよ。普通に会社勤めするのが正しいことだと信じて勤めているうちに、何もやりたいことやらずに十年が過ぎて、なんだか胸のなかが虚しさでいっぱいになっている人は。
その人たちも宇宙で迷ったのかもしれないよね。出発時点で真っ直ぐ向かっているつもりが、少し角度がズレて気が付いたら目の前に星の光はなかったと。
十年も過ぎてから虚しさでいっぱいになるよりも、いま努力して苛立つことはなんて幸せなんだろうと思う。
目を逸らさずに、自分と対話し続けているから、自分の高い目標と現実の自分のギャップに苛立つのだと思う。
大事なのは、掲げた目標が自分にとって魅力的かどうかだよね。自分が向かう価値があるかどうか。夢や目標に高すぎるなんてことはないから、ケチらずに景気のいい目標を抱えてください。
少なくとも、今の苛立ちは十年経ったときに、きっと誰かが同じようなことを相談にくると思う。相談にきた誰かは、苦しんだことのない人には何も聞かないでしょう。それにいま、私は誰かの相談に応えているようで、実はいつかの自分と再会して、自身が挫けないで欲しいと願っているだけかもしれないしね。
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