そう、それで「ところで、どういう人が好みなの?」という話になり。
この歳で、どういう人が好みとかお恥ずかしい話ですが。
「次は森博嗣さんみたいな、理系でシンプルで美しい文章の人と付き合いたい」
と答えた。森鴎外みたいなうぬぼれ屋さんは嫌だし、経済小説家も夢が無いから嫌だ。歴史作家も詩人も、ちょっと違うのだ。
「突然だね、何があったの?」
「野性的で体育会系の人が単純で根明で気楽だった。その彼にメールを送ったら『萌絵ちゃんは漢字が難し過ぎて読めない』という返信があり、その後からメールにルビ振って送ってたんだけど、いつしか『こんな人とコミュニケーションが成り立つのだろうか?』という疑問にいつしかかわり、フッとしゃべるのが嫌になった。そして、『頭のいい女は面倒くさい』と返り討ちに逢った」
「えっ(笑)」
爆笑される。
「相変わらず、言葉に翻弄されるね」
恋に言葉は要らないけれど、そこから先に進むには言葉が必要だ。
そういえば、結婚を決めた時、旦那からのメールがカギになった。
副詞も形容詞もてにをはも完璧で、こんなに美しい文章を書く人とは無いと思って、感動して結婚した。全ての科目において偏差値70以上、数学の話をしてもらっても最高に面白かった。
思えば、旦那の文章が私の好みのタイプど真ん中だったのだ。
16歳で森博嗣さんの『全てがFになる』という小説を読んで、あまりの美しさに「完璧だ!」と大騒ぎした。森博嗣さんほどではないが、旦那も非常に美しい文章を書いた。
こう考えたら、理想のタイプと既に結婚していたんだな。
私と旦那が憧れていた、タホ湖の畔に住むトレーダーのエド・スィコータはいつも言っていた。
「みんな欲しいものを手に入れる」
と。
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